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民間信仰石造物 「地蔵菩薩、庚申塔、観音供養塔」

【民間信仰石造物】


※撮影は東京都杉並区内にて


地蔵菩薩、庚申塔、観音供養塔



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●写真の説明

ここに建立されている石塔は、宝永元(一七〇四)年銘・元文五(一七 四〇)年銘の庚申塔、享保十五(一七三〇)年銘の地蔵塔、宝暦九年(一 七五九年)銘・享和三年(一八〇三)銘の百番観音供養塔です。いずれも 天沼村の村民が現世での幸運と来世での往生安楽を願って造立したもので、 当時の人々の信仰心の一端を伝えています。

庚申信仰は、人の中に棲むという三戸の虫が眠っている間に抜け出して、 天帝にその人の罪科を告げ、早死にさせるというのを防ぐために、庚申の 夜は身を慎んで眠らずに過ごすという民間信仰です。江戸時代には、各地 に講がつくられ、庚申塔の造立も盛んに行われました。この二基の庚申塔 は青面金剛・三猿等を浮彫りにした一般的な塔で、講中による造立です。 地蔵菩薩は人間の苦を除き、楽を与え六道衆生を救済する仏として地域の 人々の信仰を集めました。また、村境や辻に建てられ、境の守護と村の安 全の守護を行う仏として大切にされてきました。

百番観音信仰も江戸時代には庶民の間に浸透しました。特に関東地方で は西国・坂東・秩父の百ヶ所霊場巡拝が盛行し、巡拝記念あるいは巡拝と 同じ功徳を得るための百番観音供養塔が造立されました。この享和三年銘 の供養塔は百番観音信仰と光明真言信仰とを一体にしたもので、区内では 数少ない作例です。

これらの石造物は地域の区画整理の際に集められたもので、庚申塔は南 方の桃園川辺の路傍、地蔵塔と供養塔は西方の熊野神社際の路傍から移転 されたものです。なお、石造物隣の区画整理記念碑は、整理の完了した昭 和十三(一九三八)年に建てられたものです。

今和二年二月

杉並区教育委員会


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終活・相続・葬祭「法務」 行政書士鈴木俊行 葬儀葬祭法務特捜部

東京都杉並区阿佐谷 杉並区役所隣り









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